綱島を通る度に、此処には御手洗が居たんだなって思う。
元住吉には石岡君と彼女が居た。
異邦の騎士と謂う本の中のフィクションだけれど、
僕が読んで唯一号泣した1冊。此れは忘れない。
数年後に登場人物と同じ名前の女性と出会う。
それがRyoko。新丸子に住んでいた。
勿論、その時も異邦の騎士を思いだしていた。
その出会いで僕の音楽は一変する。
フィクションだと理解しているけれど、
僕には名前やセリフがキーワードとして蓄積される。
全く関係がなくても似たものと出会うと愛おしく感じる。
それは物語に限った事でもないか。
物語にはその要素もあると思うから、
なるべく現実や体験を投影しない様にしている。
でも、風とはしったらの4つの物語の中で、
ほとりが演じた母を失った少女の物語は、
家族への興味が希薄だった僕には想像が難しく、
体験を幾つか混ぜる事にした。
以前も書いた気がするけれど、今書いておきたい。
幼い頃から身体が弱かった僕は、
すぐに熱を出して寝込む。そんな時は母がフルーツの缶詰を買ってきてくれる。
フルーツが好きで、家にはいつもフルーツがあったけれど、
その缶詰が楽しみだった。
あまり食物に興味がなく、
気づけば家で食事を摂る事が少なくなっていて、
母の味とかはピンと来ない。
フルーツの缶詰を林檎にかえて脚本に添えた。
もう1つ、
あまり時間が取れない時に、駅前の喫茶店で母と待合わせをした。
用件は覚えていない。唯遊びに行く事はない。
珈琲を飲み、母はケーキも食べて、
喫茶店を出て歩いていたら、母が手を繋いできた。
ふらふらしていたから、そのまま駅を過ぎて家まで送った。
幼い頃の写真にそれらしいものがあった気はするけれど、
手を繋いだ記憶は皆無だった。
感慨がある訳でもなくて、印象に残っていた。
2つのエピソードを脚色して動画に取り入れた。
ほとりとほとりのお母さんの演技なのか、いつも通りなのか、
それは判らないけれど、今でもその動画を観ると涙がでてくる。
僕の記憶と異なるけれど、
画のおかげで素敵な物語が完成した。
さらが担当した物語だけは、
未完成と謂うか、物語として不充分だった。
冒頭や最後は彼女に任せたけれど、
物語の展開はほとんど描かれない。
文章としては他の物語と同じくらいの分量がある。
それでも言葉を排除したミュージックビデオの中では、
表現がとても難しい。
寧ろダンスシーンも含めた表情が全てだったと思う。
WildBunnyは何度も注意をしたけれど、
結局、動画に対しては真摯に頑張っていたと思う。
一番最初の撮影だけは恐ろしく酷かった記憶。
アイデアを楽しんでくれたり、
撮影では笑う事を我慢出来なくなった事も多い。
面白かったり感動した動画や企画は数え切れない。
結局何も残らなかった。それは違う。
僅か1人でも誰かの琴線を叩く事が出来れば、
作品として価値を保つ。同時に才能を有する事になる。
メンバの変遷やコロナ禍、
大きな目標の中で見失っていたかも知れないけれど、
間違いなく何かの才能を宿していた。
それを活かす場所とは異なっていたけれど、
そこに集って、その場所だから生まれたものだと思う。
元気で真正面から頑張っていてくれたらと思う。
3.22.2024
Romantic Warrior
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