3.22.2024

Romantic Warrior

綱島を通る度に、此処には御手洗が居たんだなって思う。
元住吉には石岡君と彼女が居た。
異邦の騎士と謂う本の中のフィクションだけれど、
僕が読んで唯一号泣した1冊。此れは忘れない。

数年後に登場人物と同じ名前の女性と出会う。
それがRyoko。新丸子に住んでいた。
勿論、その時も異邦の騎士を思いだしていた。
その出会いで僕の音楽は一変する。

フィクションだと理解しているけれど、
僕には名前やセリフがキーワードとして蓄積される。
全く関係がなくても似たものと出会うと愛おしく感じる。
それは物語に限った事でもないか。


物語にはその要素もあると思うから、
なるべく現実や体験を投影しない様にしている。
でも、風とはしったらの4つの物語の中で、
ほとりが演じた母を失った少女の物語は、
家族への興味が希薄だった僕には想像が難しく、
体験を幾つか混ぜる事にした。

以前も書いた気がするけれど、今書いておきたい。

幼い頃から身体が弱かった僕は、
すぐに熱を出して寝込む。そんな時は母がフルーツの缶詰を買ってきてくれる。
フルーツが好きで、家にはいつもフルーツがあったけれど、
その缶詰が楽しみだった。

あまり食物に興味がなく、
気づけば家で食事を摂る事が少なくなっていて、
母の味とかはピンと来ない。
フルーツの缶詰を林檎にかえて脚本に添えた。

もう1つ、
あまり時間が取れない時に、駅前の喫茶店で母と待合わせをした。
用件は覚えていない。唯遊びに行く事はない。
珈琲を飲み、母はケーキも食べて、
喫茶店を出て歩いていたら、母が手を繋いできた。
ふらふらしていたから、そのまま駅を過ぎて家まで送った。

幼い頃の写真にそれらしいものがあった気はするけれど、
手を繋いだ記憶は皆無だった。
感慨がある訳でもなくて、印象に残っていた。

2つのエピソードを脚色して動画に取り入れた。
ほとりとほとりのお母さんの演技なのか、いつも通りなのか、
それは判らないけれど、今でもその動画を観ると涙がでてくる。
僕の記憶と異なるけれど、
画のおかげで素敵な物語が完成した。


さらが担当した物語だけは、
未完成と謂うか、物語として不充分だった。
冒頭や最後は彼女に任せたけれど、
物語の展開はほとんど描かれない。

文章としては他の物語と同じくらいの分量がある。
それでも言葉を排除したミュージックビデオの中では、
表現がとても難しい。
寧ろダンスシーンも含めた表情が全てだったと思う。


WildBunnyは何度も注意をしたけれど、
結局、動画に対しては真摯に頑張っていたと思う。
一番最初の撮影だけは恐ろしく酷かった記憶。

アイデアを楽しんでくれたり、
撮影では笑う事を我慢出来なくなった事も多い。
面白かったり感動した動画や企画は数え切れない。
結局何も残らなかった。それは違う。
僅か1人でも誰かの琴線を叩く事が出来れば、
作品として価値を保つ。同時に才能を有する事になる。

メンバの変遷やコロナ禍、
大きな目標の中で見失っていたかも知れないけれど、
間違いなく何かの才能を宿していた。
それを活かす場所とは異なっていたけれど、
そこに集って、その場所だから生まれたものだと思う。
元気で真正面から頑張っていてくれたらと思う。



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