11.18.2025

Faithfully

次回のRadioBunnyは、
2026年からFarewellTourを開始するJourneyを中心に選曲した。

僕の中でJourneyはStevePerry在籍期間だけで、
アルバムだとEscape,Frontiers,Raised on Radioの3枚以外はほぼ聴いていない。
つまり今のJourneyは僕の知っているJourneyではない。

それでもFarewellTourは感慨深く、
ホントはギターを始めた切掛はJimmyPageと謂いたいけれど、
ベースからギターへ持ち替えた切掛はJourneyのNealSchonで、
結局コピーをする機会はなくて、
影響を受けたギタリストとは謂難いけれど、
間違いなくバンドサウンドとしてギターの音が刺さってきた。


Farewellは解散や引退と訳されているけれど、
やはりお別れで、感謝が含まれる。
関係性は様々だけれど、バイバイとは異なる趣きで、
その言葉を使われると感慨は凡ゆる方向へ錯綜して、
とても落ちつかなくなる。苦手だ。

作家の引退や断筆はプロか否かの違いで、
音楽と同様に終わりはないと思う。
作家なら考えなくても浮かんでくるし、
音楽を止める事は不可能。
宣言にはあまり意味がない。

でも、そこへ至る気持ちは理解出来る。
生きていく為の仕事云々は全く別になるけれど、
プロとして音楽に触れていると、
作曲でも演奏でも、今まで以下になる事は赦せなくなる。
自己満足ではあるけれどプロとしての自己満足。

勿論、経験や知識は続けている限り増えていくけれど、
出来なくなってくる事の方が圧倒的に多い。
1々つ出来なくなっている事を実感して、
辞めると謂うよりも出来なくなった宣言に辿りつく。


僕の場合は何度か宣言をしているけれど、
概ね感情が理由で、数日経つと明らかな変化が起きる。
宣言に意味はない。寧ろ恥ずかしい。
そう考える様になったけれど、
出来なくなった事はとても多い。

演奏はライブを避けて、基本はレコーディングのみ。
ライブの場合は体調を整える時間が得られる場合だけ。
作曲は仕事として必要な場合だけ。
作曲よりも世に出していない名曲を今にアジャストする作業が優先で、
その中に必要な楽曲がなければ書く。
仕事としては合間で可能な作業以外は請けない。そんな感じ。

一時期は楽曲単位で提供を考えていたけれど、
TLLから始まったプロジェクトの中へ全曲投入出来ると思えた。
勿論、育成も含めた事で、
アップテンポよりミドルやスローテンポが多いけれど、
そこから派生していく未来に託せると確信した。
そこで生演奏が必要になった場合、最後にギターとして仕切ろうと思う。
此のプロジェクトが或意味僕のFarewellで、
それ以上の熱量を抱けるか?と考えると答えが視えてくる。
それで良いと思う。


その楽曲達の中で、
秦さんとBJのねねの存在がとても大きい。

長く仕事を続けてこられて、多くの才能と出会ってきて、
その中でも音楽の天才だと思えたのは、秦さんとねねだけ。
作詞作曲編曲を全て含めた創造と、楽器演奏も揃うと、
音楽が一気に楽しくなる。端的に会話の種類が変わる。
更に唯一僕が保たない歌としての、
声質・技術、それを活かすセンスも保っていたのは2人だけだった。
対等どころか刺激を頂ける才能だと思う。

大切な楽曲は多いけれど、
今から使えて10年色褪せない楽曲だと限られてくる。
圧倒的に多いのは此の2人が携わった楽曲で、
2人が関わった事で輝きが増した楽曲もあれば、
永遠に色褪せない楽曲だから、
自然に2人をピックアップして制作した楽曲もある。
なんだか面白い。


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